FC2ブログ


プロフィール

OpenDialogueColloquium

Author:OpenDialogueColloquium
こんにちは。【オープンダイアローグ研究会OpenDialogueColloquium】です。2000年設立の「ナラティヴ研究会」が前身の研究会で、2014年12月より本名称に変更しました。隔月に一度のペースで周辺分野含めた自由な勉強会を開催しております。学びの輪を広げていこうと本ブログを開設しました。週1の更新を目指して楽しく緩やかに発信して参ります。ご一緒に学び合えましたら幸いです。拙文ではございますが、宜しくお付き合いのほどお願いいたします。十分に対応させていただく時間が無いため、コメント欄は動かしておりません。何卒ご容赦くださいませ。(運営担当:tomo)

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

【開催告知】オープンダイアローグ研究会 (26)
【活動報告】オープンダイアローグ研究会 (12)
【書籍紹介】オープンダイアローグ (4)
【書籍紹介】ナラティヴ・セラピー周辺 (1)
【イベント紹介】オープンダイアローグ/ナラティヴセラピー (25)
未分類 (3)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

名古屋市立大学で隔月開催。医療関係者・支援職・学術研究者...が輪になり勉強しています。お気軽にご参加ください。
スポンサーサイト
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
【第2回研究会報告】矢原隆行先生をお迎えしました
【第2回研究会報告】矢原隆行先生をお迎えしました
こんにちは。
オープンダイアローグ研究会です。


遅くなりましたが、
3月6日(金)に名古屋市立大学看護学部で開催された
「第2回オープンダイアローグ研究会」のご報告です。  

やはらせんせい


ゲストスピーカーに「矢原 隆行 先生(広島国際大学)」をお迎えし
「リフレクティング・プロセスとオープン・ダイアローグ ~北欧における展開の状況」と題して
2014年8月にデンマークの古都ロスキレで開催された国際会議
;第19回The International Network for the Treatment of Psychoses に参加された際の
Seikkula, J.の講演の核心や、
デンマークの病院で実際の臨床現場に同席経験されたお話など、
現地の最新の動向をお話しいただきました。

冒頭の1時間に、矢原先生より
現地を訪問された際のお写真や資料を基に
プレゼンテーションをいただき、
その後、休憩をはさみ、丸くなって全体で意見交換をしました。

参加者は、
医療関係者、大学研究者、各種支援職中心に
トータルで30名弱。

正式な記録を取りそびれましたが
自己紹介時に耳で聴いていた初参加者は3名。
鍼灸学校の学生さんや、
開催を本ブログで知り、
関東から日帰りで駆けつけてくださった方も。

矢原先生の佇まいやお話のされ方が
自然体で穏やかでお優しくていらっしゃるので、
会場の雰囲気も、いつもに増してゆったり柔らかになりました。


以下、
矢原先生のお話、参加者の質疑応答、野村先生のコメント・・・含めて
個人的な雑感ざっくりメモからの
個人的なバイアスがかかりまくっている感想です。
(温度感お汲み取りの上、ご参照下さい。)


印象的なお話。

・海外から見学に訪れた研究者である先生(セラピストでは無い)。
実際のセッションの現場に
「見に行きたいですか?」
「はい。」
「では行きましょう。」
といった、シンプルな流れで同席させてくれたことへ、
日本では在り得ないだろうという驚きのお話。


・チームを組んでクライアントの自宅を訪れ
対話セッションにをするときには、医療者も私服で参加すること。
見た目では、誰が医師で看護師か分からず、
一見、見た目から医師とは見えなかった方が、
実は医師だったことが後から判明したことへの驚きのお話。

(穿った見方ですが、役職の如何に関わらず
 ものを言わずとも、その場や、会話の主導権を握ろうという意図が強いと
 威圧した空気感を醸し出してしまうことは
 割と無自覚に誰にでも起こり得ることだからこそ、凄い!)


・原則として、相談者本人(当事者)が居ないところでは
セッションに対しての話題は一切しない、舞台裏を創らないというお話。
(リフレクティング)


・↑これらについて、思ったこと。

 人の認識、という観点からすれば、
 私たちが、何かを「問題だ」と強く思い込んでいるときは、
 得てして、視点を固定し過ぎて視野が狭窄し、
 そこに絶対的な存在感をもった何かが
 断固として存在している様に見なしがちだと思う。

 しかし、セラピスト達が
 その「問題」が存在しているという、
 いち現場、いち要素である家庭を訪れて現場を見つめたり

 周辺で関係している地域の関係者も巻き込んで
 彼らの分も含めて更に多角的な眼差しで見つめたりするようになれば

 当人たちの視野にも、自ずと広がりがもたらされる為

 本人たちが
 自らの「問題」に
 多角的・多層的・複合的な眼差しを持てるようになれば、
 「問題」それ自体の存在感も
 随分と変わったものとして受取られるようになろうだろう。


・初学者に捉え違いされがちな点ではあるものの、
 “単なる対話だけで治るから、技術はいらないんだ”
 “薬無しで治るんだから凄いんだ”
 といったイメージは、
 オープンダイアローグの存在意義の真意では無い、ということ。

 クライアントが安心・信頼しきって心を開いてくれるような
 あたかも何も知らないようなスタンスで
 専門性を極度に抑制したやりとりを、
 自由で先行きの不明瞭な(不確かな)発話において維持し続け
 忍耐強く問題の解消に“共に”向かうことができるのには
 高度に訓練されたセラピストたちの力量が要。

 グーリシャンの言うように会話そのものへの信頼」が必要だし
 その場、その言葉、そのメンバーの関係性、そのシステム全体を 
 丁寧に見つめることができる思考力も必要。


・もともと、「転轍機」という名称の小さなグループの取り組みが
今ではデンマークの国家レベルでの取り組みへと育ってきているという経緯。

それ自体は歓迎されるべき流れかもしれないが、
同時に「では評価システムをどう組むか・・」という話も同時に出てきている点には
実に、“らしく”、
何でも数値化、マニュアル化で実証すべき、実証可能と考え
科学的なものとして扱おうとしているのであろうが、

統計的な優位性など、可視化できる範囲内での成果のみを取り扱ってしまえば、
このオープンダイアローグがこれまで築いてきた
「質的存在意義」を取りこぼしかねないのではないか・・・という危惧。

実証主義的視点での考察や評価は、
「科学」というストーリーの中では勿論重要視される必要がある。

しかし、それはあくまでもいち思考・論理体系における一視点に過ぎなく
オープンダイアローグ全体の、一部分を切り取るものにしか過ぎない、
ということを踏まえておく必要があるのではなかろうか、という意見も。


・「階層を創り、マニュアルを創り、厳格な評価システムを創りキッチリやっていく精神療法」
 と
 「階層も無くし、マニュアルも無くし、評価システムもないオープンダイアローグ」。
 どっちがいいんだろうか?
 という、参加者の先生の問いに対して感じたこと。

 自分自身の内側に、自分なりの思考基準・評価基準を持つ人は
 自身を尊重してくれる後者を歓迎するだろうけれど、

 そうか!それらを自分の中に持たず(あるいは自信が持てず)
 他者や権威者に、自己の規定を委ねたい人には
 「専門家なのに何もしてくれない。」
 「私の問題について責任を負ってくれないの?!」
 と、逆に不満に映る可能性もあるかもしれないなぁ・・と、ハッとしたこと。


以上です。

今回は、温度感を出す為に、ほぼ拙文ままとしました。

「コラコラ!」というご感想もあるかと思いますが
あくまでも一個人の感想として、おめこぼしくださいませ。

今後のレポートについては試行錯誤していく次第です。
どうぞ宜しくお願い致します。


(担当:tomo)
スポンサーサイト
【2015/04/22 23:40】 | 【活動報告】オープンダイアローグ研究会 |
Home*
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。